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東京地方裁判所 昭和31年(行)89号 判決 1957年3月22日

国籍

(本籍 広島県安佐郡安古市大字古市千四百三十四番地)

住所

東京都荒川区日暮里三丁目百五十三番地

原告

倉本健二

(訴訟代理人

岡村玄治 外一名)

被告

国 代表者 法務大臣

指定代理人

館忠彦 外一名

主文

原告が日本の国籍を有しないことを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文と同旨の判決を求める旨申したて、その請求の原因として、

一、原告は大正十三年(西暦千九百二十四年)三月五日アメリカ合衆国において日本人倉本玉五郎、同倉本静枝を父母として生れ日米両国籍を取得したが、大正十四年四月二十一日日本国籍を離脱する届出をしてこれを喪失した。しかるにその後昭和十七年(千九百四十二年)二月七日原告名義で内務大臣に対し日本国籍回復許可の申請が為され同月二十四日その許可が与えられ、その結果広島県安佐郡三川村大字中筋古市千四百三十四番地(その後土地の名称変更により肩書戸籍簿上の本籍地のとおりの表示となつた)に原告が一家を創立し、ついで昭和二十年五月二日右家を廃家のうえ養子縁組により同所同番地倉本玉五郎の戸籍に入り、更に昭和三十年六月十四日婚姻により肩書本籍地に戸籍が編成された旨、それぞれ戸籍簿に記載されている。

二、しかし右国籍回復の許可及び養子縁組はともに無効であつて、原告は日本の国籍を有しないものである。

(一)  原告は日本の教育を受けた後帰米する予定で昭和十四年七月父母兄弟とともに日本に来て、前記本籍地に居住し、広島市の修道中学校夜間部に通学していたが、同校三年のとき日米間に戦争が勃発した。昭和十六年暮れから昭和十七年なかばまで原告は家族と離れ広島市東千田町の角和雄方に寄寓し、そこから通学していたが、父玉五郎は当時原告が米国籍だけしかもつていないため、周囲の人々からは白眼視され旅行も自由にできず、将来も良い学校には入れない等との噂をきき、原告の将来を憂慮し昭和十七年二月七日原告名義で内務大臣に対し日本国籍回復許可の申請をしたのであるが、前記のとおり原告が当時二里半を隔てた地に別居していたことでもありかつまた日本国籍を回復しても原告のためには利益だけで害はないと信じて原告には相談もしないでその知らない間に右申請をなしたのである。このように本件国籍回復許可の申請は当時十五才以上であつた原告に無断でなされたものであるから無効でありこれに対して為された前記内務大臣の原告に対する日本国籍回復の許可の処分もまた当然無効である。(後略)

理由

原告がその主張の日、場所において日本人倉本玉五郎、同倉本静枝を父母として生れ、日米両国籍を取得したが、原告主張の日本国籍を離脱する届出をしてこれを喪失したこと、原告主張の日に原告名義で内務大臣に対し日本国籍許可の申請がなされその主張の日にその許可が与えられたこと、戸籍簿に原告主張の事項がそれぞれ記載されていることはいずれも当事者間に争いがない。

(一)  証人倉本静枝の証言と原告本人尋問の結果によると、原告は昭和十四年七月日本で教育を受けた後帰来する予定で父母兄弟とともに来日し肩書本籍地に居住し、広島市所在の修道中学校第一学年に編入学したが昭和十六年暮日米間に戦争が勃発した。その頃になると米国籍人に対して村の人々の眼は冷たくなり、憲兵や警察の者も原告の日本国籍を回復するよううるさく勧めるし、原告の学校の教師のなかにも原告に対して日本国籍の回復をすすめる者もあるという話をきき、近所の米国籍をもつた人もだんだん日本国籍を回復していたので、原告の父玉五郎及び母静枝は相談して原告の将来のためには原告の日本国籍を回復しなければならないと考えたが、当時原告は二里半位離れた広島市に居住していたし、日本国籍を回復しても米国籍は失わないから原告には不利益にはならないと考えて、原告には相談しないでその知らない間に原告名義で本件日本国籍回復許可の申請をしたものであることが認定できる。右認定に反する証拠はない。そして昭和十七年二月十七歳十一ケ月であつたことは前記争のない原告の出生年月日に照し、暦数上明らかであるから、原告名義の本件日本国籍回復許可の申請は無効であり、右申請に対して内務大臣のなした許可もまた無効というべきである。

(二)  前記証人倉本静枝の証言と原告本人尋問の結果によれば、原告に対する前記日本国籍回復の許可があつた結果、原告の一家創立により父の戸籍とは別に新戸籍が編成されたが、昭和二十年五月はじめ原告に対し昭和二十年五月五日入隊するようとの召集令状が発せられたので、前記玉五郎及び静枝は原告が父母と同じ戸籍に入つていなければ将来まずいことになるかも知れないと考え両人が相談の上原告には相談することなく原告の入隊前である同月二日右両名と原告との間に養子縁組をする届出をしたことが認められる。右認定に反する証拠はなにもない。そうすると前記原告の両親と原告間の養子縁組は当事者に縁組をする合意がなかつたことになるから、その余の点につき判断するまでもなく無効であり、右縁組によつても原告は日本国籍を取得したということはできない。ところで原告は日本人として戸籍に記載されているのであるから本訴につき確認の利益を有することも明らかである。よつて原告の請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟特例法第一条民事訴訟法第八十九条を適用して主文のように判決する。

(裁判官 飯山悦治 松尾巖 井関浩)

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